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落陽 落陽
初出:(未発表)
脱稿:2002年2月13日
加筆修正:2005年1月3日
内容:公園へ散歩したときの風景描写
 正月から引きずっていた風邪がやっと治ってきたので、鞄に読みかけの短編集と携帯魔法瓶のコーヒーを詰め、久しぶりに近所の自然公園に行った。 小学校の通学路として何千回と往復した道であるが、二十年以上を経てもこの辺りはほとんど変わり映えがしない。 しばらく歩いていると果樹園や畑が黒土を剥き出しにし開けている中に、密集した住宅が塊のように現れた。 似たような家々は恐らく建売りがほとんどなのであろう。 屋根や軒が隣家とぶつかりそうな程に、ブロック塀ギリギリまで建ててある。 庭もほとんどないようで、妙にせせこましい。 その塀が切れると突然視界が開け、何も植わっていない畑が何百メートルも広がっていた。
 歩道のない道のため、車に邪魔にされながらゆっくりと歩いた。 舗装路とはいえ、足元は車に飛ばされて集まった細かな砂利で歩きにくい。 そんな道を二十分程かけてようやく公園に着いた。 家を出る前には晴れていた空も曇ってしまい、風も冷たかった。 家を出たのが遅かったから、時計を見るともう三時を過ぎていた。
 半年前に訪れたときには花菖蒲が満開だったが、一月も半ばを過ぎた今となるとただ黒土が盛ってあるばかりで寒々しい。 目に見える緑も常緑樹のくすんだ色ばかり。 近くの池に放された鴨やアヒルがやかましく鳴きながら水面に波を立てている。 右を見るとこの公園のメインとも言える、全長一キロ程ある人造の川の終点が見えて、水面がざらざらと艶消しになっていた。 日陰になっている所は薄氷が張っているらしく、表面に結晶状の模様が浮かんでいた。 左にはほとんど日中も日陰になっている林の中に「ホタルを育てています」と書かれた古い看板が見えた。 その先には小さな水路が設けてある。 苔生した溝の中を覗くと水が枯れていた。 ここで蛍を見たという噂は聞かないので、もう育てるのはあきらめたのだろうか。
 園内は対岸に人がぽつりぽつりと見えるばかりで、薄暗い林の中は人影もなかった。 砂利を踏みしめながら、クヌギ林の丘を登る。 丘の中腹にある丸太の遊具場にやっと子供が走りまわっているのを見つけたが、その賑やかな声も冬空に吸い込まれて聞こえない。 足元の枯枝を避けながら丘を登り切るとそこは丸禿の土になっていた。 所々常緑樹の垣根が雑然と生い茂り、辛うじて道の境界を作っている。 その間にある木製のテーブルとベンチに座って呼吸を落ち着け、持ってきたコーヒーで一息入れた。
 持ってきた本を開き、時々白い空や黒々とした常緑樹を脇見しながら読み進める。 静かだ。 騒々しい通勤電車の中で読むのと違って内容が頭に入りやすいのは良いが、妙に落ち着かない。 静か過ぎるのだ。 短編を読み終えたのを機に、また当てもなく歩き始めた。
 小高い丘になった所から小さな滝が作ってある。 この公園には昔から何度も来ているが、上から覗いたのは久しぶりだった。 滝といっても人工なので湧き水や川がある訳でなく、ポンプで下から上の池に汲み上げて水が落ちるようになっている。 いつもなら白波を立ててザーザーと流れ落ちているのだが、凍結を防ぐためか、あるいはこの季節には無用からか、機械は止めてあるようで水面は穏やかだった。
 丘を下り人造川へ行ってみた。 初夏には釣り糸を垂れる人が多く見られたが、今日はまばらだった。 その残り少ない釣り人も片付けを始めているところだった。
 この公園のほぼ中心に、鯉が放されている池がある。 近くに人はなく、またその池に気を止める者は誰もいなかった。 桟橋のような木の台から中を覗いた。 白や朱もいるが、黒いものがほとんどだった。 苔に覆われた底をすれすれに、時々思い出したようにすいと勢いを増したり、ほとんど止まったりしながら水面に波も立てず泳いでいた。 じっとしばらく眺めていると、日が暮れ始めているのを感じた。 まだ帰りたくはなかったが、来た方と反対側の出入口に向かって歩いた。
 桜の並木道は落ち葉もなかった。 枝は銀色に光っていた。 まだ暗くはないが、遠方の林の影がだんだん水墨画のように彩度を失って来た。 人影はほとんどなく、初老の警備員がこちらに一瞥をくれながら早足に歩いて行くのが見えた。 とはいえこの公園は閉園時間が決められている訳ではない。 恐らく、彼の今日最後の仕事なのだろう。 警察のものを模しながら、やけに青っぽい制服には何の威厳も畏怖も感じられなかった。
 駐車場に着くと、そこにタコ焼きの屋台が出ていた。 ソースの臭いに釣られて一パック買った。 広場の藤棚の下にあるテーブルのベンチに座り久々に焼き立てを頬張る。 熱さに驚いて上を向くと、見捨てられたようにマメ科の実が干からびたようにぶら下がっていた。 おそらく金鎖の実であろう。 毒があるから鳥も食べない。 よく見ると藤棚の上には三毛猫が丸くなっていた。 タコ焼きが目当てかと思ったが、目をつぶり、ただじっとしている。 こちらの動きに全く無関心のようだ。 まだ本を読めるほどの明るさもあるし、猫もまだ帰りそうにない。 と、自分で変な理由をつけ、また本を読み始めた。
 短編の一つを読み終えそうになると、目の前に眩しさを感じた。 真正面の木々の間から夕陽が光っていた。 丁度地平線の辺りは雲が切れているのだろう。 鮮やかなオレンジ色が目を突いた。 こんなに眩しい夕焼けは記憶になかった。 高い所から日が落ちるのを見届けたくなった。 突き動かされたように、丘に向かって公園に戻り始めた。 左手にオレンジに燃える雲をにらみつつ、早足で坂を登った。 太陽のある位置には雑木林がいつまでも邪魔をして、その姿を捉えることができない。 ようやく公園の一番高い所に登り切った所で、雲がすでに青みを帯びているのに気付いた。 結局そのオレンジ色の勇姿を見ることなく、日は沈んでしまったのだ。
 家に帰るあきらめがついた。 出入口に戻ったが、帰り道は来た道と違う道を歩いていた。 畑や鉄工所、用水路などを過ぎて、通っていた中学の横を通った。 日が落ち切って薄暗い校舎は変によそよそしく見えた。 まるで母校とは思えず、懐かしさも感じられなかった。 木蓮がさびしく枝を震わせていたが、その先には花芽が出始めていた。
(了)
 

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