「無題(仮)」     第5話

むうにぃはうす   

 「いいんですか? こんなことして」 仲根は、もう何度目かの同じ問いを佐伯に向かって発していた。
 「いいんだ。彼らを犯人としている訳ではないからな」 禁煙という思考はすっかりなくなっている佐伯が、今日何十本目かのタバコをくわえながら答えた。
 事件の容疑者として二人の男の顔を映し出しているテレビをみながらの会話である。 百二十人という、警視庁西石神井署始まって以来の陣容で構成された連続殺人事件捜査本部には、 佐伯と仲根の他には誰もおらず、ガランとしていた。二人は一足先に外回りから戻ってきていたのだ。
 「そりゃ確かに『容疑者』であるうちは『犯人』じゃないですからね。でも…」
 「でも…なんだ?」
 「かえってヤツら、もっと逃げ隠れしちゃうんじゃあ…」
 「そんなに逃げつづけられんさ。人間てもんは」
 くわえていたタバコの火を消し、佐伯は新たなタバコを取り出そうとした。 しかし、しわくちゃになったパッケージの中には、もうタバコは残っていなかった。
 「あ〜もうないのか」そういいつつ上着の左の内ポケットから新しいタバコのパッケージを取り出した。
 仲根はあきれて言った。「佐伯さん。今日、八箱目っすよ」


 「確かに、このままじゃ逃げ切れん」
 森浦は神妙な顔をして言った。あわてて図書館から出てきたはいいものの、 この先どうするか思いつかずにいたのだ。
 二人が道を歩いている右手には、夏の日の光に照らされた石神井公園が見えた。彼らは公園に入っていった。
 「そうだ。だから考えなければならん。俺たちがどういう経過でここにいて、 それは今回のいくつかの殺人事件とは関係のないことを証明するために」私は、自分に言い聞かせるように、 慎重に言った。
 「だがな進藤。それを証明するためのネタはどこにあるのだ。 どう考えてもこれまでの経過は『俺たちが犯人』と言っているようなもんだぞ」
 この瞬間、実は本作の重大な謎の一つでもあった、「私」の本名がようやく明らかになった。 「私」は(ようやくこれで、本作の謎の半分は解けた…)と心の中で密かに喜んだ。
 さあ、あとは殺人事件を解決して、我々が犯人じゃないことを証明するだけだ…ん?

 二人は、日当たりの悪そうな、公園のスミのベンチに腰かけた。 三方を、葉の茂った夾竹桃が囲む、目立たない場所だった。
 「いいかよく聞け」私は深呼吸をした後、森浦に向かってそう言った。
 「よく聞いているじゃないか」森浦は不満そうに微力な反撃を試みたが、 「いーやお前は土壇場で逃げるヤツだからな。先に窓から逃げたし」と私に指摘されると、 モゴモゴと声にもならぬ声を出した後、黙ってしまった。
 「まあ、今のは冗談として」と私が言うと、 森浦は心の中で(冗談になってねーじゃねーか!)と密かに悪態をついた。 ま、これは余計な描写であるが…
 「俺はさっき、図書館で『これは連続殺人なんかじゃなかった』と言ったよな」
 森浦は無言で頷いた。
 「図書館で新聞やらなんやらのバックナンバーを開いていて、気づいたことが一つあるんだ」
 森浦はまだ無言で、私の目を見た。
 「第一の殺人。畠山とかいう街金が首を絞められて殺された件だが、 この日、コイツの屍体があった部屋の住人は大阪に出張してて不在だった。しかもコイツとは縁もゆかりもない」
 「ああ、確かそうだったな」
 「部屋の住人は、借金もしないほどのきっちりとした人間、平たく言えば固いヤツらしい。 そんなことが書いてあった。で、そんなやつが街金みたいなところから金を借りるとは思えんのだ。 だから部屋の住人はシロということになった…」
 「そりゃ新聞に書いてあることをなぞってるだけだぞ」森浦は余計なことを指摘する。
 私は平然と受け流して答えた。 「ああそうだ。ここまでは新聞に書いてあることだ」そしておもむろに次に話を進めた。
 「さて、その新聞に書いてあることの続きだが、第二の殺人。どっかのOLが刺殺された件だが、 これについては、警察もマスコミも知らない重大な事実を知っている」
 「!」森浦の顔が急に緊張をはじめた。 「な、何を、知っている…んだ?」発する声もかなりこわばっている。
 「この野村というOLの知りあい、というか野村の友人の友人を俺は知っているのだ」
 森浦は黙って私の話を聞いている。
 「その友人の友人というのは俺んちの近所に住んでいてだな、顔をあわせればあいさつもする間柄だ」
 「で?」森浦が先を促す。
 「で、なぜ知っているかというとだな、その彼女は同人誌を作っているからだ」
 「!」森浦の緊張は一気に高まった。それも無理はない。 何せこれらの事件の関連性を証明するようなキーワードが見つかったからだ。「同人誌」である。
 私は話を続けた。「かつて晴海でコミケ(コミックマーケット)が開かれていた頃、 俺はある女性と会場で出会った。それが例のOLの友人の友人だ。 その場で話が合った俺たちは、その日仲間といっしょに彼女をコミケ打ち上げパーティに誘った。 そこで、彼女が俺んちの近くに住んでいることがわかって、それ以来近所で顔を合わせるとあいさつする仲になったのだ」
 森浦は納得しかねるという顔で聞いた。「それはわかった。で、殺されたOLとお前の関係は?」
 「おお、いいところに気がついた。そのコミケの打ち上げの席に、友達の友達として同席していたのが殺されたOLなのだ」
 「?!」森浦は声にならぬ声をあげた。そりゃびっくりするだろう。こんなことを聞かされれば。
 「その時は確か、コミケみたいなのは初めて、とこの前殺されたヤツは言っていた。 でもなんかとっても楽しそう、なんてみたいなことも言っていた。どうやら同人誌という世界に惹かれてしまったようだった」
 「ん。つまり野村というOLも、殺された時点では俺たちと同じ…」森浦が確認するように言った。
 「同人誌作家であった可能性はかなり高い」私は断定するように言い切った。
 「確か彼女は、会社のコピーを大量に私用に使って降格処分を受けた」
 「ああそうだ。千枚も使えば普通バレるが、それでもそうせざるをえない事情が彼女にはあった…」
 「同人誌のコピーを作るため…しかも金がないから…ってことか」
 「その通り。そしてそのことに絡む重大な事実がさらにひとつ…」私はもったいぶるように静かに語った。
 森浦は固唾をのんで私を見返した。「それは…」
 「それだけの努力をつぎ込んだ同人誌は、完成の日の目をみなかったんだ」
 「!」森浦はこれまで以上に驚いた。「完成しなかったとは…」
 「そう完成しなかったんだ」私は自分の言葉を確認するように頷いた。
 「そうか…」森浦はため息混じりにつぶやいた。
 「だが」しばらく考えた後で森浦が口を開いた。 「連続殺人じゃない、ということの証明にはなりえないよな。野村のことはわかっても」
 「ああ、確かにそのとおりだ」私はそう答えた。確かにそのとおりだ。
 「でもこれは連続殺人ではない、と言い切れる」なぜか高揚して私はそう言った。
 「根拠は?」森浦が聞き返す。
 「全被害者に共通する事実がひとつしか存在しないのだ。被害者が発見された状況だけだ。 完全密室の状態での被害者の発見。これだけだ」
 「これだけだ、といっても、十分共通性のある事実だと思うが」
 「状況はそろっていても、具体的物証に欠ける。第一殺され方がすべて違う。 絞殺、刺殺、撲殺、轢殺、刺殺。順不同だ」
 「殺し方の違いなどそう大きな問題ではないんじゃないか」
 「いいや、これがけっこう大きな問題だと思うんだ、俺は。 同一人物の行為ならばそんなに幅広い方法を駆使するなどあまりしないものだ。 犯行現場ではどんなことが起こるかわからない。 あらかじめ状況を想定した上で、一番確実な方法を選び出すものだ」
 「そういわれればそうかもしれないが…」やや合点が行かないように森浦が言った。
 「それよりも俺は興味をひかれる事実がいくつかある」
 「…それはなんだ」
 「特定の被害者には共通する事柄がいくつも存在することだ」
 「…? どういうことだ」
 「つまりこういうことだ。たとえば、第一の被害者である畠山と第三の被害者である島田は、 貸した金の回収という仕事をしていた。第二被害者の野村と第四被害者の権藤は、 同人誌作家とその印刷を請け負った業者という関係がある。畠山と島田は、 直近の金の回収先がたちの悪いところが多く、思うようにいってなかったという悩みも共通する。 野村が同人誌をコピー誌で作らざるをえなかった背景には、 友人を通じて印刷を頼んでいた権藤の印刷所がつぶれたことがある」
 「…それはすごい関係性だな」森浦が感心したようにいう。
 私はさらに話を続けた。「そして俺たちの部屋で死んでいた少女は…」
 「少女は?」
 「これがよくわからんのだが、どうやら彼女も同人誌作家らしい。 そして殺される直前に、コンビニで不良にからまれていたところを仲根に助けられていた。 ま、これは新聞に書いてあったことだが…」
 「それは俺も読んだ。たしかにお前の視点で考えると、最初の4人の関係はけっこう納得できる。 しかし、それではあの少女のことが説明できん」
 私は森浦の言葉に頷いた。「うむ。俺もそこがクリアにならないから悩んでいる…」
 「そうか…」
 二人とも考えに行き詰まって黙ってしまった。そして十数分が無言のまま過ぎた。

 「ところで」森浦が思い出したように口を開いた。 「お前、仲根仲根って、あの刑事のこと友達みたいに呼んでいるけどどういう関係なんだ?」
 「ああ、そのことか。あいつとは高校のとき同級でな。割と気の合った友達だったよ。 東京に引っ越してきた時に、その地元の警察にヤツがいてな。今でもタマに飲む間柄だ」
 「なんだそういうことか。だったら逃げるんじゃなかったな」
 「ああ、そしたらこんなとこで謎解きみたいなことをしなくてすんだかも…!」
 私はそう話しながら、突然気がついた。そう、「仲根」だ。
 「…お前どうしたんだ」
 「おう、わかったぞ。あの少女のことが」
 「わかったって何が」
 「彼女が俺たちの部屋で死んでいたことだ。共通点は『仲根』だ!」
 「共通点は『仲根』? 誰との共通点だよ」
 「俺たちだよ。俺たちと彼女との共通点だ」
 「おい、それってどういうことだよ」森浦がびっくりしたように聞き返した。
 「彼女は死ぬ前に仲根に助けられた。そして俺は仲根の友人だ。そしてさらには同人誌作家でもある。 これ以上の共通点があるか!」そういって私は森浦に振り向いた。
 「たしかに言われてみればそうだ。ってことは、おい。もしかして」森浦が急に青ざめはじめた。 恐ろしい考えが浮かんだに違いない。
 「そう。次のターゲットは…俺たちかもしれない」私は努めて冷静に答えようとしたが、 語尾がやや震えてしまった。
 「どうするんだよ。これから。俺たち」
 私はすぐに答えられなかった。
 「しかたない。出頭するか」しばらく黙った後で、私はそうつぶやいた。
 「中根に会って、話をしたほうがいいかも…」
 「今はそうしたほうがいいかもな」森浦が答えた。
 「ようし。そうならコトは早いほうがいい。今から行くぞ」「おう」
 二人は、石神井署に出向くべく立ち上がろうとした。その時、夾竹桃の木陰から不意に二人に声がかかった。 「出向くことなどないぞ。進藤」
 「!」驚いた二人が振り向くと、ベンチの後ろには、佐伯と中根がタバコをくわえながら立っていた。
 佐伯が言った。「お前らの素人推理、十分参考にさせてもらうぞ。 そんじょそこらのデカよりもよっぽど役に立つ」
 「よくそこまで考えついたなあ、進藤。連続殺人じゃなさそうだ、ってとこまではかんがえてたけどなあ、俺も」
 「中根ぇ、驚かすなよ。しかも後ろで聞き耳立てるなんざ人が悪いぜ」私がそう応えると、 「それが仕事だからな。俺の」と言って、中根は軽く笑った。
 佐伯が改めて口を開いた。「とりあえず署には行かなくていいからな。今言ったら、 連続じゃない殺人の『連続殺人犯』に仕立て上げられるからな。目立たないところで協力してもらうよ。よろしく」
 森浦が確認するように聞いた。「よろしくって、俺たち犯人じゃないっすよ!」
 「わかってるよそんなことは。あのTV報道は真犯人の注意をそらすためにやったもんだからな。安心せい」
 「よかったあぁぁぁ」思い切りホッとしたように森浦はその場にへたり込んだ。
 「さて進藤よ」中根は私に向かって言った。「しばらく俺たちと一緒にうごいてもらうぞ」
 こうして俺たちは、佐伯・中根の両刑事とともに行動することになった。


 第1の事件発生から15日目。まだ謎はほんの少ししか解けていない。 (しかも事件とは関係のない謎ばかり…)

つづく   


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