稿

 甘美な悪魔

金縷梅 肇   

 
 
 
夢の中で彼女は笑っていた。
日の光の中で、その黒髪を靡かせながら。
輝かせながら。
彼女は純粋な笑みを浮かべていた。
 
涙が頬を伝った。
 
彼女の夢を見るのは、一体何回目だろうか。
そして涙を流すのは、一体何回目だろうか。
 
 
彼女はもう、此処には居ない。
 
 
 
Life's but a walking shadow,a poor player……
 
 
 
ユ・ケイ大佐。
彼女と再会するのは、軍隊に入隊した時であった。
ケイとは、幼い頃からの知り合いだった。
まるで姉弟のように、親しかった。
近所であったし、同時に幼いながらも互いの境遇が似ていた事に気付いていたからかも知れない。
幼い頃は、それが恋だとは気付かなかった。
 
 
 
They your eyes have overlooked me and divided me;
One half of me is yours, the other half yours.
 
 
 
それを再認識するのは、学生時代だった。
大学のキャンパス内で、再会した。
同じ学部ではなかった。
たまたま入ったクラブの先輩後輩の仲だったのだが、互いに飛び級で入学していた事と、 幼い時の淡い記憶で、互いの事を覚えていた。
親しくなるのも、愛し合うようになるのも、然程時間はかからなかった。

「まさかさぁ、こんなトコでも遭うとはねぇ」
「確かに。俺も大佐になっているとは思わなかった」
「アハハ。ソレいえてる。処で、君は志願して此処に入ったの? それとも徴兵の義務で仕方なく?」
「志願してだよ。家は居辛いし、何より人の役に立つからね」
「家に居辛いってのは同感。あたしもさーそれで入ったんだよー」
カラカラ笑いながら言って、ストレートのブランデーを飲む。
ケイの家は一般家庭なのだが、彼女一人だけまるで異形の者の様に、扱われていた。
彼自身もまた、私生児として疎まれていた。
家庭内の不和。
それが二人を結びつけたのかも知れない。
中国人(黄色人種)で、その上女で、妙な噂流れているだろう?」
「ああ、確かにね。上の連中とヤっているとか、裏金を渡している、とかね。 でもやっぱ此処って、実力の世界だからさ。ちゃんとやるべき事とかやってれば、認めてくれるからね。家よかマシだよ」
「そういうものか?」
「そーゆーもの」

黒い髪を弄びながら、ふと、嫌な顔をした。
「髪…」
「ん?」
「煙草の匂いがする。さっき吸ってたろう?」
言われて彼女は少し思案顔になり、やがて思い出したらしくアビスの方を見る。
「うん.吸ってた。それが?」
「身体を壊すぞ。止めたほうがいい」
「乳癌予防だよ。胸にしこりがあったり、胸が無かったりしたら嫌でしょ?」
尤もらしく言って、ふ、と軽く笑って付け足す。
「それに部下にも上にも、舐められるしね」
その笑みは何処か、虚無主義者のように見えた。
「安心してよ。嗜む程度だからさ。 それより、もっかいやんない?今日は二人とも暇なんだしさ」
そう言ってアビスにキスをした。
 
 
 
So quick bright things come to confusion.
 
 
 
戦地で、彼女は死んだ。
自軍の勝利を確信した時だった。
隠れていたのか、それとも死に損なっていたのか。
敵軍の一人が最期の力を振り絞って、打ち込んだ銃弾に、彼女は倒れた。
 
 
 
One sorrow never comes but brings an heir, that may succeed as his inheritor.
 
 
 
紅い血が、綺麗に見えた。
日に照らされた赫の血が、美しいと思えた。
一瞬、何が起こったのか解らなかった。
黒い髪が、血臭と死臭を乗せた風の中で靡いた。
―――そして彼女は膝をついた。
自らの胸から、口から流れる赤い、紅いそれをその手を塗らして、不思議そうに見つめた。

―――ああ、何だ…血か。
他人事のように、それは思えた。
ふと、誰かの声が聞こえた。
誰かが叫ぶ声がする。
誰よりも一番知っている声が、自分の名を呼んでいる。
誰よりも愛しい。
誰よりも恋しい声で叫んでいる。
あの可愛い泣き虫が泣いている。
その声を聞いて、あたしはすぐに駆けつけて、尋ねるのだ。
誰かに何かされたの?と。
誰かに苛められたの?と、お姉さんぶって尋ねるのだ。
泣かないで。今行くから。
誰よりも愛しい淋しがりや。
あたしが居ないとダメな、可愛いあれが。
愛しい声で泣いている。
あたしの名を泣き叫んでいる。
 
 
 
……Woe doth the heavier sit
Where it perceives it but faintly borne.
 
 
 
―――何と皮肉なものだろう。
彼女が、彼女の家族から敬遠される理由となったものが、今彼女を生き長らえさせている。
ケガの手当てをしながら、思う。
―――けれど、其れももう、限界のようだ。
何度か、是までも彼女は負傷してきた。
だが、彼女の持つ不可解な力が起こす"奇跡"が、幾度も彼女を救い、そしてどんなに深い傷も常人の何倍もの速さで癒してきた。
血に濡れた、髪に触れその馨りを嗅ぐ。
例え神であろうと、天使であろうと、鬼であろうと、悪魔であろうと、構いはしない。
彼女さえ、ケイさえ助けてくれるのなら。
俺はどうなろうと構わない。
だからお願いだ。
彼女を助けてくれ。
彼女を、死の淵から突き放してくれ。
 
 
 
When we are born, we cry that we are come to this great stage of fools.
 
 
 
彼女が気付いた場所は、先の戦場ではなく、森の中だった。
たしか、先の戦場に行くにあたって、通った場所だ。
頬に触れる温もりに気付き、顔をそちらに向かせる。
アビスの顔があった。
そして、彼女は気付いた。
彼に膝枕をさせている状態になっていた。
胸のあたりから来る、鈍痛に目を向けて見れば、応急処置の跡がみられた。
「ああ…アビス君」
苦しそうに息をしながらも、声音を、言の葉を乱すまいと、彼女はしていた。
「あたしさー、何か死んじゃうみたいなんだよー」
「ケイ…」
何か物言いた気だが、言の葉が浮かばない。
彼のその様子を見ながら、彼女は其れに対して何も言わない。
傷口が、熱い。
「ねー、これって酬いかナー?」
頭の中が、白くなっていく。
「あたしさーこれでも頑張ったんだけどナー」
筋肉が緩んで、顔がヘラヘラと軽薄そうな笑みを浮かべる。
「ねーアビス君。死んだらあたし、何処に行くのかナー」
きっと地獄に違いない。
それとも、多くの血に濡れた自分は、地獄にも行けないだろうか。
いや、そんな事よりも寧ろ、後に残されるこの愛しい半身は、自分が居なくなったらどうなってしまうだろうか。
「あたしが教えた事、忘れないでね。君にしか、教えてないんだからね。 棍の扱い方も、剣術も、兵法もみーんな、君にしか、教えてないんだからね。 忘れたりしたら、承知しないからね」
―――君に忘れられたら、あたしを知る人が居なくなるもの。
その為の教えだもの。
君さえ傍に居てくれるのなら、他は何もいらない。
ナンニモイラナイ。
 
 
 
Who ever loved that loved not at first sight?
 
 
 
「忘れないでね」
喋るな、と言った処でそれは意味が無い。
援軍が来るとも思えない。
例え来たとしても、それはケイが死んだ後だろう。
今ある医薬品では、彼女を救う事は出来無い。
何よりも。
何よりも、彼女自身が既に死期を悟っている。
そう、まるで彼のイエス・キリストの様に…―――

―――ああ…死神がほら、そこに立っている。
その黒い大鎌を擡げている。
その手にある、砂時計が終わろうとしている。
―――死の天使なんかより、死神のほうがあたしにはお似合いだね。
「ねぇ…アビス君」
ゆっくりと、感覚が薄れていきつつある重い両の腕を持ち上げて、彼の頬に触れる。
涙の痕が、滑稽なほどにくっきりと残っている。
「こんな血塗れで悪いんだけどさー……抱きしめてくれないかナ? 何時もより強く、背中に痕が残るくらいに。窒息するくらいに。離れてしまわないように。 あたしを此処に繋ぎ止めて。熱くて寒いんだー」
押し潰されそうな位に押し寄せる、死への恐怖。
「キスして。呆れるくらいに、飽きるくらいにあたしの名を呼んで」
そして、死への羨望。
「ケイ…」
「情けないナァ…そんな顔しないでよ。君、一体幾つになったのサ?」
頬に当てていた腕を背に移す。
涙が伝う。
「アビス君、愛しているヨ」
亜麻色の髪が、視界を埋める。
感覚が薄れていく中に、愛しい半身の温もりを感じる。
「だから、聞いて」
残酷かも知れないけれど。
「生きて。愛する事を忘れないで。感じる事を忘れないで。 喜びも悲しみも、何時か愛になるから。きっと愛になるから。 だから―――生きて。 どんなに辛くても、生き抜いて。何時かきっと幸せになるから」
 
 
 
それが 最期の願いと 言葉
 
 
 
One that loved not wisely but too well.
 
 
 
―――俺に、お前以外の者をせるはずが無いのに……。
何かに縋り付いていなければ、生きていく事も出来ないのに。
何かに頼っていなければ、自我を保つ事すら出来ないのに。

『クスリを使うのはココロが弱い証拠だよ。 クスリはヒトを弱くさせるしネ』

何時だったろう。
彼女が誰かに云っていた言葉。
―――その通りだったよ、ケイ。
自嘲気味に薄く笑う
俺はお前無しでは生きる事すら叶わない。
お前以外、愛せない。
お前以外の、誰を愛せと言うんだ。
お前の声が愛しいよ。
お前の温もりが恋しいよ。

涙が頬を伝う。
手首の傷の疼きが。
手首を切る痛みが、現実と繋ぎ留める。
どんなに幸福な夢であろうと、今は居ない愛しい半身を思い出させ、孤独に涙する。

お前が居ない、この世界では。
どんな夢も
悪夢だ。
 
 
 
……All the world's a stage, and all the men and women merely players.
 
 
 
思ひわび さても命は あるものを 憂きに耐へぬは 涙なりけり
 
 
 
 
 

END    



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