「無題(仮)」     第3話

ぽぽぽん   

 「同人誌か――」
 ムッとする空気を体中に浴びながら私は部屋の窓に向かった。
 真夏の日差しはギラギラとアスファルトに降り注ぎ、物干し竿売りのトラックが眼下をのろのろと通り過ぎている。
 「今年はクーラ買うべきだったな、この暑さは人間の限界を超えているぞ」
 背後から森浦がつぶやいた。
 「まったくだ、これじゃ頭もオーバーヒートだ」
 「おまえの頭は以前からオーバーヒートしているだろ」
 「余計なお世話だ。それより続きを考えることが先決なんだ」
 「ああ――やはり推理小説のリレー小説というのは難儀だな」
 「そうだ。回数を重ねる毎に書き辛くなってくる。前の譚しとつじつまが合わなければ推理小説は成り立ちはしないからな…」
 「それなんだよ」
 開きっぱなしの窓から先程とは別の物干し竿売りの声が聴こえてきた。
 「この1ヶ月譚しを読み返し考え構想を練ってみた」
 森浦はちゃぶ台の上にあったコカコーラのグラスに口を付けた。
 「で、どおなんだ」
 「いいネタは浮かんだんだ。だけどな、脱稿までに少々時間がかかる。 しかもリレー小説として成り立たせるには相応しいものじゃあないんだ」
 「結局、書いてないんだろ」
 「一層のこと、独立した一つの譚しとして書いた方がいいかな、と…」
 「確かにお前の後に書くのは骨折ることになりそうだな」
 「今の俺の苦しみを人には味合わせたくないのだ」
 「言い訳だな」
 窓から西日が部屋奥まで差してきた。斜向かいのアパートメントでは露台の手摺り
に掛かった布団を取り込んでいた。
 「ともあれ、もう時間はないんだ。何とか考えなくては」
 「今までの経過からいくと、三つ、否、 四つの殺人事件の謎を説くカギは同人誌にあるんじゃあないかな〜っと匂わせるところで終わっている」
 「同人誌ってまさに今、書いているコレだよな」
 「そうだ、で、行き詰まるんだ」
 「現状も譚しの中も同人誌に行き詰まっている訳だな」
 額から出た汗が、下顎をつたって畳の上にぽたりと垂れ落ちた。
 「外に出るか!」
 「そとって!?」
 「兎に角この部屋を出ることだ」
 森浦が立ち上がると、床はミシミシと軋んだ。
 「いい加減、引っ越したらどうだ、ここ」
 私は黙って玄関から外へと出た。路地を平行して走る都電の蠅の唸るようなモーター音が耳に入ってきた。 床屋からは散髪したての少年が恥ずかしそうに頭をいじりながら出てきた。
 「考えてみたのだけれど、刑事を譚しの中心に据えるというのがどうも駄目だ」
 「読む方も書く方も実体を正確に把握している訳じゃあないからな。刑事といったって検事など役人様に対して報告書を出し、 判断を仰いで行動する実行部隊なんだからな。そのしがらみの描写が面倒だ。 だいたい俺は警察っていうのはあまり好きじゃあないし信用もしていない」
 「そうだ、もっと書きやすい奴を進行役にしなくてはならんのだ」
 「たとえばどんな奴だ」
 「テロリストとかな」
 「もっと実体が掴めん」
 「確かに…、じゃあ私立探偵ていうのはどおだ」
 「日本が舞台じゃあそれも無理がある」
 あちらこちらで街灯が灯り始めた。居酒屋の店先の三和土の上には太った三毛猫が寝そべって、焦点の定まらぬ眼差しをこっちの方に向けていた。
 「それさえ決まれば話は早い」
 酒屋で缶ビールを買い、もと来た路地に歩みを進めた。アパートメントの鉄製の階段を昇るとき、 ふと嫌な予感がした。森浦が鍵を掛けずに出た部屋の扉を開いた瞬間、それは実感となって現実に振り翳されてきた。
 「おい、これって…」
 そこには見知らぬ14,5歳のお下げ髪の少女が、胸から血を流し骸となって畳の上に横たわっていた…

つづく   


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