短 編 小 説 |
静かな茶話会 |
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すぎうらよしゆき | |
その日、風もないのに森の木々たちがざわめいていた。いや、ざわめいているように感じられた。
それはまるで木々たちが会話を楽しんでいるようにも感じられた。 「これは聞いた話なんだが…」と誰かが話しはじめた。 〔その頃、ワシは町外れの一軒家の庭におった。その一軒家はなぜかここ5〜6年の間、 人間は住んでいなかった。だが、夏のとある日、その家で一人の若者が暮らしはじめた。 この話は、その家に住み憑いていた家守様に聞いた話じゃ〕 「確かに少し古いけど、これで家賃が3万円なんで安いよなぁ」 その若者は、まだ手を付けていない段ボール箱の山と部屋の中を見ながら呟いた。 6畳2間にキッチンにバス・トイレ、おまけに小さな庭と駐車場まで付いているのだ。 そして家の裏側には高くはない山とその裾野にあるちょっと大きい池と、その周りに広がる林が一望できるのだ。 「とりあえず片付けは明日からにして、今日はもう寝るとするか…」 彼はそう言うと段ボール箱を壁際にどかして布団を敷いて、着替えもせずに横になってしまった。 さすがに一人での引っ越し作業に疲れたらしく、あっという間に寝入ってしまった。 しかし、夜中になにやら物音がする。気にはなったが、疲れているので聞こえなかったふりをしてそのまま朝を迎えた。 彼は昨夜の物音が気になって、音がした場所を何気なく見てみたが、 荷物は当然のことながら増えてもいないし減ってもいなかった。昨日寝る前となんの変化もなかった。 「まあ、こんなところに泥棒が来るわけないしな」 彼は気を取り直して荷物の片付けをはじめることにしたらしく、 段ボール箱を開けては中の荷物を出してはタンスや棚などに綺麗にしまいはじめた。 「やっぱり今日一日じゃ終わらないな。……ま、いいか。夏休みだし、ゆっくりと少しずつやろう」 壁にかけた時計を見上げて彼はため息まじりにそう言うと、戸締りをしてでかけていった。 30分くらいあと、彼は両手に買い込んだ荷物や食料を抱えて帰ってきた。 冷蔵庫などに買ってきたものをしまってから、彼はウイスキーの瓶とグラスを取り出し、 酒の肴になりそうなものを見繕ってテーブルの上に並べた。 「とりあえず、引っ越し祝いだな」 彼はそう言って一人で飲みはじめたが、やがて酔ったらしくそのまま片付けもせずに横になった。 この日は朝までぐっすりと寝ていたが、起きてみるとなんとなく感じがおかしい。どこが、 とかはわからないが、なんとなく昨夜とは違うように彼には感じられた。 「なんか変な気がするんだよなぁ…」 彼はそう言いながら、真剣に部屋の中を見回した。しかし、変なところはわからなかった。 ずっとそうしていてもしかたがないので、彼はテーブルの上を片付けはじめた。皿とグラスを流しに運んで、 ウイスキーの瓶を手にしたときにふっと気づいた。 「あれ? 俺、昨夜はこんなに飲んでないぞ。こぼしてもいないし」 彼は考えながら、そのまま荷物の片付けを続けた。そして、ひと段落ついたところでタイミングよく電話が鳴った。 かけてきたのは自宅組でこっちに残っている友人で、その夜に一緒に飲む約束をした。荷物の片付けもすべて終わり、 彼はでかけていった。 彼はそれほど遅くない時間に帰ってきて、シャワーを浴びてから布団を敷いて横になった。寝入りばなに、 やっぱりなにやら物音がして彼は目を覚ました。 『今日こそは音の正体を突き止めてやるぞ』と思った彼は、そっと顔を音のする方へ向けた。 音はテーブルの上から聞こえてくるようだった。なんだ? ネズミでもいるのか? 彼はそぉっと目を開けた。月明かりの中に見えたのは15センチくらいの小さな人のように見える生き物だった。 その生き物はウイスキーのキャップを使って、器用にウイスキーを飲んでいた。彼は飛び起きた。 「あ〜っ! 俺のとっておきのブランデー勝手に飲んでんじゃねえっ!」 彼の妙な怒りにテーブルの上の生き物はびっくりして、抱えていたキャップを落としてしまった。 「いやぁ〜、見つかってしまったか。悪いとは思ったんじゃが、この酒があまりにもいい匂いだったもんでなぁ。 つい馳走になってしまったんじゃよ」 小さな生き物はその小さな手で頭を掻きながら答えた。 『俺は寝ぼけてるのか? それともまだ酔ってるのか? 人間には見えないけど、人間の言葉をしゃべってるこいつは何者だ?』 彼はそんなことを考えながらぼぉっとしていた。そんな彼を見て、小さな生き物が話しはじめた。 「わしはこの家のいえもりじゃ」 「い、いえもり?」 「そうじゃ。この家を守る者。お前さんたちから見れば神様みたいなもんじゃな」 「その神様がなんで?」 状況がよくわからないまま彼は聞き返した。 「いやぁ、この家に久しぶりに人間が住んでくれたのも嬉しかったし、さっきも言ったが、 この酒があまりにもいい匂いだったもんでなぁ」 家守と名乗った生き物は、ブランデーをなめながら答えた。すると、彼ははっとして言った。 「この家の家賃が異様に安いのは、もしかして…」 「わしはそんなことは知らん。ただ、今までに住んでいた人間たちはわしが話をしようと姿を見せると、 みんな出ていってしまったのぉ。こうして人間と話をするのは何年ぶりじゃろうか……」 家守は少し寂しそうな顔をしていた。その姿を見て彼は家守に話しかけた。 「あんた、家守様は酒が好きなのか?」 「そうじゃのう。こうやって人間と話しながら飲む酒は格別じゃのう」 家守はそう言いながらキャップに残っている酒をちびちびとなめていた。 「ふぅん。俺も酒は嫌いじゃないしな。よしっ。家守様、これからは隠れて飲んでないで、堂々と一緒に飲もうよ」 そう言うと、彼は灯を付けて、酒の肴にグラスとお猪口を持ってきて、それに酒を注いで笑顔で言った。 「かんぱ〜いっ!」 〔それからは、昔のことや今のことを話しながら、毎晩のように二人で晩酌をしているそうじゃ〕 〔ほう、それはうらやましい話じゃのう〕 |
「これも聞いた話なんですが…」と、別の誰かが話しはじめた。 〔私がこの話を聞いたのは何年か前のことです。その方は、とある町の小学校の校庭にいたそうです〕 「この樹も、もう寿命なのかのぉ…」 「そうですねぇ。花が咲かなくなってから今年でもう3年ですか……」 二人の年老いた男たちが私を見上げながらつぶやくように話している。 「毎年この樹をバックに新入生の記念写真を撮るのが恒例だったが、今年も無理みたいだのぅ…」 「そのようですねぇ、校長先生」 校長先生と呼ばれた男は、私に背を向けて歩きながらつぶやいた。 「私も今年で定年だから、最後の記念写真はここで撮りたかったんだが…」 やがて二人は遠ざかり、その声は聞こえなくなった。 それから数日後、私のもとに山の神様の使いが尋ねてきた。 「おお〜い、桜の樹の精霊殿。私は山の神様の使いの者です。どうか姿を現せてください」 その使いの者は、毎年御神酒を持ってきてくれる者の息子だった。 「おお、おぬしか。久しぶりだのう。父上はどうした?」 「お久しぶりです、精霊殿。父は年甲斐もなく張り切りすぎて、腰を痛めて臥せってます。 それで父の代わりに私がお伺いに参りました」 「まあ、そんなに硬くならんでもいいではないか。いつもの調子で話をしてくれんか。こっちも疲れてしまう」 彼があまりにも緊張しているので、私は微笑みながらそう言うと彼はほっとしたようだった。 そして持ってきた御神酒を差し出して、彼の父親がしているように祝詞を唱えはじめた。 ひととおりの儀式が終わると、安心したのか座り込んでしまった。 「おいおい、なにもそんなに力むようなことでもないだろう」 私が笑いながらそう言うと、彼もようやく笑顔を見せた。 「やっぱり見るとやるとでは大違いですね。父にも『気楽に行ってこい』と言われてはいたのですが…」 「はっはっはっ。そうがっかりするもんでもないぞ。おぬしの祝詞はしっかりしておったぞ。 これなら父上も安心じゃろうて。ではそろそろ御神酒を頂くとするかな。 一年間これだけが楽しみでなぁ。そうじゃ。おぬしも付き合わんか?」 彼が「いや、私はお酒は…」と言うのをなだめて、山の様子を聞いたりしながら一年ぶりの御神酒を一緒に楽しんだ。 しばらくすると彼は「そろそろ山に戻らなければ夜が明けてしまいます」と言って立ち上がった。 「そうか。父上や山のみなによろしくな」 「はい」 私はもう少し飲み相手・話し相手が欲しかったが、笑顔で手を振った。彼はペコリと頭を下げたところで、 何かを思い出したようだった。 「あっ、いけない。山の神様からの言伝てがあったんだ」 「なに? 山の神様からの言伝てだと?」 私は何事かあったのかと気が気ではなかった。 「はい。山の神様は『おにしのおる樹はもう寿命を超えておる。山にも若くて良い樹が増えてきた。 そろそろ山に戻ってくるように』とのことです」 「そうか………」 もうそんなになるのか…。風に飛ばされて私がここにきてから。私は少し感傷的な気持ちになったが、 使いの彼には笑顔を作ってから「梅雨になる前に山へ帰る、とご返事差し上げてくれ」と答えた。 彼は「わかりました」と返事をして、ペコリと頭を下げてから山へ帰っていった。 <「この樹も、もう寿命なのかのぉ…」「私も今年で定年だから、 最後の記念写真はここで撮りたかったんだが…」> 数日前の校長先生とやらの言葉が頭に浮かんできた。あの人間も今年が最後とか言っていたな。 私も一緒になってしまったな…。 <「毎年この樹をバックに新入生の記念写真を撮るのが恒例だったが、今年も無理みたいだのぅ…」> そういえば、こんなことも言っていたな。ようし、立場は違えど同じ境遇の身だ。 私の力でこの樹の最後のひと花を咲かせてやろうか。 〔その年の入学式の日、その桜の樹は今までのどの年よりも見事な咲きっぷりだったそうです。 その満開の桜を見て、校長先生は涙を流して喜んだそうです〕 〔そりゃあよかったのぉ。それで桜の樹の精霊の方はどうしたんじゃ?〕 〔ええ、山へ帰って若い樹を見守っているそうです〕 |
「これも聞いた話なんだが…」と別の誰かが話しはじめた……… その日、風もないのに森の木々たちがざわめいていた。いや、ざわめいているよう に感じられた。それはまるで木々たちが会話を楽しんでいるようにも感じられた。し かし、その声は私たち人間には聞こえないものだった。 | |
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(塩基配列の記憶) |
激止同好会/(C) Gekishi Doukou-kai |