「無題(仮)」     第2話

不折亭迷蔵   

 刑事の仕事と言うのは、実際テレビでやってるように派手なものではない。仲根は報告書の下書きをしながら溜息をついた。 聞き込みや現場検証などもちろんやるが、検察や直属の上司に提出する報告書の作成など、デスクワークが結構多い。 やはりお役所だから少しでも書類に不備があれば戻って来てしまう。OKならばその紙きれに、下から順に判が押されていくだけのこと。 小説のような推理劇は殆どない。ましてや銃撃戦やカーチェイスなんてもってのほかだ。
 「こんなことになるんなら体育教師のほうがよかったかな」
 いかにも体育会系といった風貌の仲根はいすをギシギシと軋ませながら欠伸を一つした。佐伯は煙草を背広のポケットから出そうとしたが、 「最後の」一本を吸い終わったことに気が付いて、神経質そうに指を絡めた。
 「どうせまた長続きしないんですから」
 そう言って仲根がくしゃくしゃのマイルドセブンを差し出す。佐伯は手でそれを遮って天井を仰いだ。
 二人は会議用の報告書類に追われていた。捜査員が全員で出席する捜査会議など刑事ドラマでは定番だが、実は滅多にあるものではない。 が、さすがに今回はマスコミでも騒がれ始めた手前、捜査本部を設置。それに伴って大会議が行なわれるというわけだ。 それだけにいつも以上に書類作成に神経を使う。何しろヤツらは粗探し好きばかりだ。と言うより刑事とはそんなヤツらの集団なのである。
 佐伯と仲根はそれぞれ静と動を受け持っていた。佐伯は複数の事件をかけ持っていたため、あまり動きまわらない。その分良きブレーンとなった。 捜査は殆ど仲根一人で動いていた。あまり机の上が好きでない仲根にとってもそれは好都合で、いざワープロ清書の段階となれば佐伯の出番となるのである。
 佐伯は仲根の殴り書きの「相関図」を手にとって眺めた。畠山、野村、そして仲根の隣人であった島田にそれぞれアンダーラインがしてあり、 下に絞殺、刺殺、撲殺と記してある。またそれらは線でつながれて、横には?マークがしてあった。この三人を結ぶ線は「密室殺人」というキーワードだけである。 他には何もない。ただ密室殺人が偶然に三つ重なっただけなのかも知れない。
 よく見ると島田の部分にはボールペンで何度もアンダーラインをした跡がある。それはすぐ隣で殺人を実行された仲根の苦悩の跡だろう。
 「おい、この島田って何をしていたヤツなんだ?」
 「俺も挨拶する程度だったんで知らなかったんですが、銀行員だそうです。なんでも最近内勤から外周りの集金業務に回されたそうで、苦労してたみたいスよ」
 「たしか野村っていうOL、証券会社勤務だったよな」
 「ええ、窓口係で・・・しかし結構美人だったよな。七ヶ所もメッタ刺しで、ひでえことしやがる」
 「!」
 最初の被害者・畠山は街金の回収屋だ。「カネ」という線が繋がった。佐伯は椅子に懸けたコートを掴んだ。静の男はいざとなれば結構な行動派だった。
 「おい、出るぞ」
 「え、書類の方は?」
 「そんなもん放っておけ。もう一度洗い直しだ。金のトラブルで三人に関係しているヤツを洗い出すんだ」
 
   紙数(ディスプレイ面積?)の都合で、容易に容疑者が浮上した。元・印刷会社経営、権藤喜一。四十七才。つい一ヶ月前、借金がはらんで会社をたたんだ男だ。 株に手を出し失敗。銀行の融資も受けられず、ノンバンクに駆け込み、借金が膨れて倒産。まさに王道を行く会社の潰し方である。
 二人は任意同行を求めるため、権藤の自宅に急行したが不在。「本の完成を待っているヤツらがいるから」と妻に残し、工場に向かったとのことだ。二人は車を走らせた。
 信販会社の差し押さえ通告書が貼られた硝子戸の中で微かに機械音がする。そこは鍵が掛かっていた。仲根は裏手に回った。印刷工場特有の天井近くにある窓を除いて、 入口はこの二ヶ所だけであった。窓は4m以上のところにあるし、非常排煙用の窓なので人の出入りは不可能に近い。また、それらはぴったりと閉ざしてあった。
 「すみません、権藤さん。警察です」
 佐伯の声に反応はない。カシャカシャといった機械音に掻き消されてしまっているのか。
 「すみません! 任意同行を願いたいのですが」
 やはり反応がない。裏手に回った仲根が業を煮やしたのか、ドアをぶち破る音がした。
 「あの馬鹿、令状もないのに!」
 仕方ないといった表情で、佐伯は硝子を蹴破り内側から鍵を開けた。
 「佐伯さん…」
 仲根が呆然と立ち尽くしていた。紙が切れてモーターが空転したままの印刷機の横には、上がったばかりの印刷物が散乱していた。インクの匂いが鼻を突いた。 荒らされた床にはタイヤの跡。その中心にバッテリー駆動のフォークリフトが止まっていた。そしてその鋼鉄の爪には、下敷きになってつぶれた権藤が血を吐いていたのである。
 「…ふりだしに戻る、か」
 佐伯がつぶやいた。
 「仲根、煙草をくれ。禁煙はやめだ」
 
   ひと通りの現場検証が終わったその夜、自ら新しい仕事を追加してしまった二人は、報告書の作成のため徹夜する羽目となった。
 「佐伯さん、コンビニで何か買ってきますけど、何か欲しいものあります?」
 「いや、俺もいっしょに行く。外の空気が吸いたくなった」
 机の上にはピースの吸殻が山になっていた。佐伯はコートを羽織った。
 コンビニの前には派手なスクーターが何台か止まっていた。店内の雑誌コーナーの前に明らかに未成年と思われる男らが床に座ってマンガを読んでいた。 外のスクーターはヤツらのだろう。時間は午前一時を過ぎている。
 世紀末ニッポンの珍しくもない光景。仲根がいきり立とうとすると、佐伯は肩を持ってそれを制した。
 「止めとけ。マンガを読んでいるだけだ」
 「でもアイツら…」
 「わざわざ仕事を増やすまでもないさ。あとで少年課でも呼べばいい」
 仲根は納得の行かないまま弁当コーナーへ向かった。佐伯はカウンターでピースを1カートン注文した。
 「やめてくださいっ!」
 店内に黄色い声が響いた。まだ幼さの残る声だ。目をやるとダッフルコートの少女が先程の少年らに絡まれていた。唇にピアスをした男が足で彼女の行く手を遮っている。 そのすぐ後ろにニヤニヤとガムを噛む男が彼女のおさげ髪をいじっている。彼女の銀縁の眼鏡の奥が赤くなっていた。店内にいた客たちは一斉に振り向いたが、すぐにばつが悪そうに目を伏せた。
 「お前ら、何やってんだ!」
 仲根は弁当やらを山盛りにしたカゴを放り投げると、少年たちに詰め寄った。
 「何だよ、おやじ。るっせーな」
 仲根が懐から手帳を取り出した途端、少年たちの顔が引きつった。彼らは持っていた雑誌を仲根に投げつけると、一目散に逃げ出した。
 「わっ、てめえら! 待て!」
 彼らはスクーターに飛び乗り、目茶苦茶にエンジンを吹かしながら夜の街へと消えてしまった。仲根はしばらく走って追いかけたが、追いつくはずもなく、 怒りをガードレールにぶつけていた。
 「大丈夫かい?」
 涙をいっぱいに溜めた少女に佐伯は優しく語りかけた。少女は黙って肯いた。肩が子刻みに揺れている。まだ十四、五といったところか。
 「畜生、逃げ足の早いヤツらめ…今度会ったら覚えておけ」
 仲根がブツブツとつぶやきながら戻ってきた。佐伯は彼女の落としたカゴの中身を拾い集め、それを彼女に握らせた。中身は消しゴムやサインペン、ワープロ用紙や修正液などの文具だった。 仲根は歩み寄りながら言った。
 「こんな夜中に出歩くなんて危ないじゃないか! 俺がいたから良かったものを」
 眼鏡の奥の涙腺がまた緩み始めたのを見て取って、佐伯は遮った。
 「おい、止めとけ。でも、ホントに一人じゃ危ないぞ」
 少女は肯いた。
 「…でも、どうしても朝までに原稿を仕上げなくちゃいけなかったから」
 「原稿?」
 「…はい、コピー誌用の原稿が間に合わなくて…だから…」
 「コピー誌?」
 「あ、はい、えと、同人誌です」
 「うん、そうか。夢中になるのはいいけど、今度からは気をつけるんだよ」
 「はい」
 彼女に笑顔が戻った。三人で会計を済ますと、すぐ近くだというので送ってあげることにした。その間、佐伯は同人誌のことをいろいろと聞いた。 仲根は興味なさげだった。彼女を無事送り届けると、彼らは署へと戻った。
 「しかし世も末だなぁ。今時の若いヤツらときたら…」
 「おいおい、俺よりも十以上若いクセして年寄り地味たこというなよ」
 「それに徹夜してまで何が楽しいんですかねぇ」
 「確かにな。俺たちもだ」
 「ヤレヤレ…」
 仲根は肩を落とした。
 「そういえばコピーって言えば、殺されたOLの野村、調べたら面白いことがあったんですよ」
 仲根は懐から小さなノートを出した。(刑事ドラマではよく警察手帳にメモっているが、なかなか新しい手帳は与えられないので、 ノートを持ち歩いているのが普通なのである)
 「一ヶ月前、会社のコピーを私用に使って降格になったらしいですよ。笑えるでしょ」
 「私用コピー?」
 「何でも、千枚ぐらい刷ってバレたんだけど、その理由を言わなかったらしくて。結局はそのコピー代を払うってことで横領だけは免れたらしいっスよ。 彼女も同人誌とやらを作ってたんですかねぇ」
 仲根は白い息を吐きながら笑った。佐伯はピースの封を切り、一本くわえた。が、ライターを片手に持っていながら、 しばし火を着けようとはしなかったのである。
 「同人誌か…」
 暮れも押し迫った師走の月が寒空に輝いていた。佐伯にとって、いつもより長いと感じる夜だった。

つづく   


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